香落渓こぼれ話#2
「・・・矢島たちはどうしてるかな」
名張駅から伊勢中川へ向かう電車の中、狭霧と向かい合って座りながら、千乃介は半ば独り言のようにつぶやいた。ここまでの道中、バスの乗り降りから電車の切符の手配まで、自分が何をするより先に狭霧が先回りをしてさっさと済ませてしまうので、千乃介としては主導権を握られっぱなしという不本意な状況が続いていた。こうして向かい合っていても、どちらかというと無駄話をしない狭霧が相手では退屈しのぎに会話でもという訳にもいかず、自然と沈黙が訪れがちになる二人だった。
「矢島なら、この2、3日はずっと修験道部の連中の指導だ。篠北も矢島に付き合って居残っている」
「じゃあ、俺が香落渓にいる間も二人ともずっと赤目にいたんだ」
「ということだな。それがどうかしたか」
「・・・いや、別に。何でもない」
狭霧は片方の眉をわずかに上げた。千乃介の声音に混じっている感情の響きに、何か引っかかったのだ。
自分が香落渓にいることを矢島に内緒にしてくれと言ったのは千乃介自身だった。
しかし・・・
「・・・矢島が見舞いに来なかったのが不満か?」
狭霧が言うなり、千乃介はその頭を拳で思いっきり殴った。
「いっ・・・」
狭霧は殴られた頭を抱えて座席の上でうずくまった。が、片手で頭を押さえながら、すぐさま起き直り、席を立って千乃介に詰め寄った。
「何すんだ、てめーっ」
「うるせーっ!大体、おめーは察しが良すぎるんだよっ」
千乃介も負けじと立ち上がって怒鳴り返した。
周囲の乗客達は、高校生らしき私服姿の美少年と、詰襟姿の中学生の奇妙な二人連れの間で突然始まった睨み合いを、何事かと遠巻きにして恐る恐る伺った。
そんな周りの反応も気が付かない様子で、半径2メートル以内に近づけない雰囲気を漂わせながら互いに睨みあう犬猿の仲の二人の旅は、しかし、この先小田原まで、まだ3時間近くも続くのであった・・・
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