玉蘭の咲くころ (二)
狭霧が夕食の支度をしてしまったことを知ると、予想どおり、長柄はひどくすまながった。
庭で摘んだ白木蓮の蕾と雑穀や木の実を入れた粥は、香りよくさっぱりとしていて美味かった。夕飯が済むと、長柄が片付けを自分一人でやると言って聞かないので、狭霧は早々に自分の部屋へ引っ込んだ。けれど、狭霧が机の前に腰を下ろして5分も経たないうちに電話が鳴り、受話器をとった長柄が狭霧への電話だと部屋の外から告げた。
「電話?誰からだ?」
「箱根の紫室千乃介くんです」
狭霧が聞くと長柄はそう答えた。
千乃介?あいつが一体何の用で俺に電話なんか掛けてきたんだ?
いぶかりながら、電話の置いてある和室で長柄から受話器を受け取る。狭霧に電話を取り次ぐと、長柄は中断された片付けをするために台所へ戻っていった。
「もしもし、俺だけど・・」
「あ、出た、出た。兄貴、三太出たよー」
受話器の向こうで、千乃介の賑やかな声がしたかと思うと、その背後に、何人かの人間が集まるような声が聞こえてきた。
「おっ、そうか。待て、待て。俺が最初だ、受話器をよこせ」
「ったく、引っ込んでろよ、多岐川。大体、お前はずうずうしいっつーんだよ」
多岐川?隼人もいるのか?
思いがけない名前を聞いて驚く狭霧の耳に、再び千乃介の声が聞こえた。
「何だよ、また、固まってんのか?・・・相変わらずだなー、お前。少しは成長したんかと思ってたのに」
「・・・相変わらずはどっちだ。もう少し意味が通じるように話せ。大体、何の用があって電話なんか・・・」
「用?俺は特にないんだけどねー。あ、じゃあ、順番決まったみたいだから、とりあえず代わるわ」
千乃介から誰かに受話器が渡る気配がした。
「三太。久しぶりだな」
代わって出たのは隼人だった。
「隼人、一体これは何の真似だ?」
狭霧が思わずそう問うと、
「何って、久しぶりに一乃介の兄貴んちに皆で集まってたら、例の竜牙会の事件の話になってな・・・そんで、お前の話題も出て、今どうしてんのかと思った訳だ。・・・でも、まあ元気そうで良かった。・・・だから、多岐川、後ろから抱きつくのはやめろ。今代わるから」
隼人はそう言って、再び、受話器が移動する気配がした。
「おーい、三太!俺だ、俺。分るかー?」
今度受話器の向こうから聞こえてきたのは、お調子者の多岐川のでかい声だった。
「多岐川・・・」
「そう、俺様。多岐川様よ。兄貴から聞いたぜー。お前、あの後何度も東京と三重を行ったり来たりしてるんだってな。みずくせーぜ、通り道なんだから、たまには箱根にも寄れっつーの。・・・あ、じゃ、兄貴に代わるわ。またな、三太」
「・・・三太か」
三度び電話の相手が代わった。最後は一乃介だった。
「一乃介さん、これは一体・・・」
「ああ、騒がせて悪かったな。隼人が言ったとおり、皆で集まって、ちょっと浮かれてるんだ。勘弁してやってくれ」
「う、ううん、それはいいけど・・・」
「でも、皆の言う通り、元気そうで安心した。多岐川じゃないけど、たまには箱根へ顔を出してやってくれ。皆も喜ぶ」
「俺は別に喜ばないぜー」
背後で千乃介の茶々が聞こえた。
「千・・・お前はどうしてそういう態度を」
「いいの、いいの。ほら、兄貴、受話器貸して」
二人のやりとりの後、再び電話の相手は千乃介に代わった。
「三太さー、俺はどーでもいいけど、皆がそう言ってるから、来たらとりあえず俺んち泊めてやるよ。ありがたく思え」
「・・・何の話だ。どっからそーゆーことになる」
「だからさ、それが相変わらずだっつーの。自覚ないねー、お前。・・・まあ、いいや。とにかく、頭の片隅にでも入れとけよ。突然電話して悪かったな。じゃあな」
そう言うと、掛けてきたときと同じように、千乃介は唐突に電話を切った。
「何なんだ、あいつ・・・」
切れてしまった受話器に向かって狭霧はつぶやいた。
2度目の電話がかかってきたのは、千乃介たちの電話から30分も経たない頃だった。
「もしもし、三太か」
今度は自分で直接電話を取った狭霧の耳に聞こえてきたのは、東京にいる坂口の声だった。
「おっさん・・・」
思いがけない坂口からの電話に、一瞬、狭霧は懐かしさに胸が詰まった。
「・・・どうしたんだよ、電話なんて。何かあったのか」
「いや、何、少しお前の声が聞きたくなっただけだ。・・・どうだ、変わりはないか」
「うん・・・おっさんこそ、酒、飲みすぎてんじゃないだろうな」
「ちっ、死んだ女房みてえなことを言いやがる。全く、血のつながりはねえってのに・・・まあ、変わりがないならいい・・・どうした、黙りこくっちまって。そんなに驚いたか」
「う、ううん。・・・実はさっき一乃介さんや隼人達からも電話があったんだ。大した用じゃなかったみたいなんだけど、その後すぐおっさんから電話があったもんでちょっと驚いたんだよ」
狭霧の言葉を聞くと、坂口は、しばらく沈黙してからおもむろに言った。
「・・・そうか。みんな、お前のことを気にかけてくださるんだ。ありがたいこったな。友達は大事にしろよ、三太」
「うん・・・」
坂口の言葉に肯きながら、内心、狭霧は驚いていた。
友達?一乃介さんや隼人達が?箱根でも、伊豆でも、皆に迷惑を掛けることしかしなかった俺なのに。そんなことってあるだろうか?
互いの近況を短く伝えあったあと、また近いうちに東京へ会いに行くことを約束して、狭霧は坂口との電話を終えた。
なんだか、変な夜だな。千乃介たちだけじゃない、おっさんまで・・・
そう思ったとき、狭霧は、待てよと考えた。
まさか、あいつらまで電話をかけてくるんじゃないだろうな。
嫌というほどよく知っている面々の顔を狭霧は一人一人思い浮かべた。そして、その予感が的中したことを知るまで、さほどの時間はかからなかった。
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2016.04.05 14:01
2016.04.04 14:17