後日譚 (二)
翌朝の三葉学園。登校した狭霧は、校門を通り過ぎて教室へ向かう途中、後ろから勢いよく背中を叩かれた。
「オッハヨー、剣望くん!」
朝にも関わらず既に絶好調といった調子の矢島だった。
「・・・矢島か。おはよう」
矢島のバカ力で叩かれて、一瞬よろめきかけた狭霧だったが、何とか体勢を保つと振り向いて返事をした。
「いい朝だねー、気分はどうだい?」
「どうって・・・普通だが」
矢島は、狭霧の顔を見ると、うぷぷと妙な笑いを漏らして、
「しっかし、あんたって、前々から妙な連中にやたらちょっかいを出されると思ってたけど、今度のは流石にびっくりだね」
「はあ?何の話だ?」
「またまた、とぼけちゃって。ま、お昼休みにでもゆっくり話を聞かせておくれよね。じゃ、また後でねー」
矢島は一方的に言うと、狭霧の傍らを通り過ぎて自分の教室へ去っていった。
昼休みに話って・・・矢島は何を勘違いしているんだろう?矢島の態度の理由が分らず、頭の中が疑問符だらけになる狭霧だった。
昼休みになると、矢島は、朝の言葉通り狭霧を迎えに現れた。矢島の後について校舎の屋上に行くと、そこには既に篠北もいた。
他人の耳を気にする必要がなくなると、矢島は狭霧に早速聞いてきた。
「・・・それで、相手は一体誰なんだい?」
「相手って?」
矢島の言葉の意味が分からず狭霧が聞き返すと、矢島はにやにや笑いながら狭霧の肩を何度も叩いた。
「もうっ隠さなくってもいいじゃん!プロポーズの相手が誰かに決まってんだろー」
「はあ?プロポーズ?誰が、誰に?」
真剣に驚いている狭霧の様子に、矢島はようやく何かおかしいと気が付いたようだった。
「え?だって、剣望くん・・・誰かから、薔薇の花束持ってプロポーズされたんじゃなかったの?」
真面目にそう信じていたらしい矢島の言葉に、狭霧の視界が一瞬暗くなった。
一体、何だってそんな誤解が・・・
その時、狭霧の脳裏に昨夜の一乃介との電話が思い浮かんだ。
あの時の一乃介さんも何かを勘違いしているみたいだった。もし、一乃介さんが矢島と同じ勘違いをしているんだったら・・・というより、ひょっとして矢島の誤解の原因が一乃介さんなんじゃなかろうか。そして、そもそもの一乃介さんの誤解の原因は・・・
「・・・おっさん、恨むぜ」
「剣望くん?本当に誰からもプロポーズされていないの?」
尚も疑うような口調で矢島に聞かれ、
「当たり前だろ!頼むから、そんなことを冗談でも信じないでくれ」
「あははは、ごめん・・・」
常日頃にない剣幕で狭霧に言われ、矢島は小さくなった。
「ったく、そんな話信じるほうがどうかしてるだろ。言っとくけど、人に言いふらしたりとかしたら・・・」
承知しない、と言いかけたところで、狭霧は矢島が眼を合わせないようにしていることに気が付いた。
「・・・まさか、もう・・・」
「ごめん、思いっきり言いふらしちゃった・・・」
矢島が両手を合わせて拝むように頭を下げた。絶句した狭霧は、さっきから少し離れたところで二人のやりとりを黙って聞いていた篠北に向かって、
「篠北、何で矢島を止めなかったんだよ・・・」
恨めし気に言う狭霧に、
「さてね」
と言って、篠北は意味あり気に狭霧を見ると、
「お前さんに、薔薇の花束持って愛を囁こうって人間に全く心当たりがないってわけでもなかったんでね」
「あ、愛って・・・」
気障なセリフを平然と口にする篠北に、狭霧のほうが却って赤面した。
― こいつ、絶対面白がっているな。
篠北に期待したのが間違いだった。狭霧の内心の後悔を余所に、
「ねー、そうだよねー。こーゆー話を聞いても、何か妙に真実味があるんだよね、剣望くんの場合」
懲りずにそんなことを言う矢島に、狭霧はこれ以上この二人に何かを言うことの愚を悟った。
「・・・もう、いい。俺は教室へ戻る」
踵を返して屋上から降りる階段へ向かう狭霧に、矢島の声が追いかけてきた。
「剣望くーん。心配しなくても、誰も気にしてないからー。本当に皆ちょっと驚いてただけだからねー」
・・・それが問題なのだ。心の中でそう思いつつ、反論する気力がつい萎えがちになるのを自覚する狭霧だった。
「剣望さん」
屋上から降りて教室へ戻る途中、狭霧を呼び止める者があった。狭霧が顔を上げると、眼の前に珍しく真面目な顔をした雪也が立っていた。
「雪也・・」
「お話があります。・・・ここでは何ですので、総長室のほうに来ていただけますか」
そう言って狭霧の返事を待たずに雪也は先に立って歩き始めた。断れない雰囲気を纏った雪也に狭霧は仕方なくついていった。
「それで、話って何だ?」
二人で誰もいない総長室に入ると、狭霧は雪也に尋ねた。
総長の机の前で立ち止まった雪也は、狭霧に背を向けたままおもむろに話し始めた。
「剣望さん。僕は、三葉の生徒として、先輩の貴方に差し出たことを言うつもりはありません。ですが、僕は、僭越ながら自分を貴方の友人でもあると思っています。後輩として、また友人として、貴方を気にかける気持ちに嘘偽りはありません。その上で、どうしても申し上げたいことがあります」
そう切り出した雪也に狭霧は面食らった。雪也のこの持って回った言い回しはなんだ?
雪也は向き直って狭霧に相対すると話を続けた。
「・・・僕が申し上げたいのは小鉄のことです。勿論、今回の件は完全に貴方自身の自由意志で決める権利が貴方にはあります。僕自身は、後輩として、また友人として、貴方の選択を尊重し、祝福して受け入れたいと思っています。ですが、小鉄は・・・貴方もよくご存じのとおり、小鉄は貴方に実の兄、いえ、それ以上の立場としての責任を感じているようです。小鉄が今回の事態にどういう反応をするか・・・常は冷静で判断を誤ることのない点において信頼できる小鉄ですが、貴方に関する事となるとどうにも怪しい。それだけ、貴方の存在が重いのでしょう。・・・貴方と小鉄との間の問題で自分の感情をとやかく言うべきではないとはわかっています。ですが・・・僕は、彼の主ではありますが、その立場を離れて小鉄のことが心配なのです。丁度、小鉄が貴方を気に掛けるように。そのことをお分かりいただけるでしょうか」
雪也が小鉄を心配する気持ちは理解できないでもなかったが、それで雪也の矛先が自分に向かう理由が狭霧にはよく分らなかった。
とはいえ、雪也が言う「今回の件」は、やはり例のプロポーズ話としか思えなかった。狭霧はうんざりしつつ、さてどうやって雪也に説明しようかと考えていると、
「馬鹿なことを言ってはいけないわ、雪也さん」
いつのまにか話を聞いていたらしい貴子姫が、突然ドアを開けて現れた。
「貴子姫・・・聞いていらしたのですか」
「ええ、初めから全部。それより、雪也さん、そんなことを言って、剣望くんが困っているじゃないの。もっと冷静になって考えてちょうだい」
そう言って雪也を窘めた貴子姫に、狭霧は援軍を得てほっとする思いだった。
どうやら松平だけはまともな判断力があるらしい。そう狭霧が思いかけたところ、
「各雲斎くんを心配する貴方の気持ちも分からなくもないわ。でも、剣望くんが一生を左右する重大な問題で悩んでいるときに、各雲斎くんのことを持ちだしたりしたら、却って事態を複雑にするだけよ。いえ、それどころか、下手をしたら、もっと話をこじらせかねないわ。見守るだけというのは辛いことではあるけれど、このことは、結局、周囲がどうすることもできない問題なのよ。私たちにできるのは、剣望くんが出した結論がどんなものであれ、友人として温かく受け入れる、ただ、それだけよ。・・・たとえ、それが各雲斎くんにとって辛いことであっても」
貴子姫が話し終わるのを聞いて、狭霧はひどい頭痛を感じて両手で額を押さえた。
松平が援軍だと一瞬でも思ったのは早計だった・・・
「姫・・・」
雪也は感じ入ったようにつぶやいた。
「そうなのですね・・・僕は、剣望さんのことを気に掛けているといいながら、つい、自分の小鉄への心配ばかりに囚われてしまったようです。姫のお言葉で眼が覚めました」
「いいのよ、雪也さん。貴方の辛い立場も解るわ」
「・・・お前たち、その会話はそもそも前提が間違ってるって何で気づかないんだよ?」
雪也と貴子姫の間に温かい雰囲気が流れるのを遮って、ぼそりと狭霧はつぶやいた。
「え?」
二人が同時に振り返って狭霧を見た。
「だから、何で、俺が、プ、プロポーズされたなんて話を簡単に信じちゃうんだよ。少し考えれば変なのが分るだろうが」
「剣望くん・・・」
貴子姫ははっとした顔をした。
「照れているのね・・・私たちにまで隠すことないのに」
「そうですよね」
貴子姫は狭霧の否定を全く取り合わずに言い、追い打ちをかけるように雪也も相槌を打った。
「お前たち、なんでそう頑なに信じれるんだよ・・・」
これ以上雪也たちと会話することに徒労感さえ感じ、狭霧は力なくつぶやいた。
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2016.05.12 15:08
2016.05.10 14:14