舞台「はみだしっ子」とPart19
光へ向かって行くんだ!
影をひきずってでも
― たとえボクの両眼が失くても
ボクは光を見ただろう きっと
舞台「はみだしっ子」のラスト近くのグレアムのセリフです。
今まで頭の中で再現するだけだった漫画のセリフが生身の役者さんから発せられることで色々な発見のあった舞台だったんですけど、このセリフもその一つ。
原作にあるセリフなので、当然知っていたんですけど、仲原Gあるいは久保Gがこのセリフを口にしていたのを聞いて初めて聞いたみたいにはっとさせられました。
正直、原作を読んでいたときには特に印象的ではなかったんですけど、舞台で聞いたときにすごくグレアムらしいセリフに思えたんですよね。多分、後段の「たとえボクの両眼が失くても」のせいだと思うんですけど、一種壮絶なまでの意志を感じさせられる言葉だなあと。
後で原作を確認して「影をひきずってでも光へ向かっていく」が「両眼を失ってでも光へ向かっていく」のように響いて聞こえたんだと、若干錯誤があったのだと分かりましたが。
でも、その錯誤によって捉えたセリフは、Part19後半のグレアムに真っ直ぐ繋がるように思います。
もし、失ったのが両眼だったのなら、グレアムは光に向かって行けたのに。
このセリフにもあるように、グレアムには光に向かって行こうとする強烈な意志が元々あるのだと思います。でも、雪山以降、グレアムにはそれができなくなってしまった。
でも、できなくなってもそこで立ち止まったままでいないのがグレアム。
最近、読んだ本の中に「近代への後ろ向きの跳躍」という言葉がありました。
その言葉を借りて言えば、part19後半のグレアムの行動は「光への後ろ向きの跳躍」と言えるんじゃないかなと思います。
では、グレアムが向かおうとする「光」とは何か。少し考えていることはありますが、なかなか文章化するのは難しい。
でも、一つだけ言いたいのは、グレアムがPart19で問題提起していることは、「中二病」なんて言葉では片づけられないとても深い問題だと思います。
「はみだしっ子」が最後に到達したのは、とてつもなく遠い射程を持つ視座であり、問題だったのではないかと時々思います。
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