マイ・ベスト片思い名場面


グレアムについて書いたので、やっぱり次はアンジーだよね!・・・でこのタイトルか~w

グレアムファンの私ですが、「はみだしっ子」で特に好きな場面は実はアンジーの場面が多い・・・正確には、アンジーが「グレアムのことを」思ってるシーンが多いです^^;)

何せ、「はみだしっ子」の中で最もハートを鷲掴みにされたと思えるシーンが、例のYou are my Sunshine・・・昔覚えた英語の歌を現在も歌えますw

Part19のこのシーンを読んでからというもの、片思いという言葉を聞くと、ピアノを弾きながらこの曲を歌うグレアムと、切なさの滲むアンジーのアップの表情が描かれた大ゴマを反射的に思い浮かべるようになってしまいました^^;)

とにかくアンジーといえば、他の三人への愛情の深さが半端ないというのが一番のイメージなのですが、中でもグレアムへの思い入れは、このシーンに象徴されるようにちょっと子供のものとは思えないものがある。

その一方やっぱりアンジーも子供だなと思う面もあって。

自分の書いた小説の話で恐縮ですが、“The little birds in the green woods”に「グレアムを支えることができる手が欲しいのに、年下の二人に何も心配させることのない自分でいたいのに、現実はまるで正反対でしかない自分が歯がゆかった。そんな自分自身が悔しかった」というアンジーの心情を描いた箇所があるのですが、「年下の二人に何も心配させることのない自分でいたい」というのはアンジーにはちょっと無理かも・・・と入力し直しながら思いました(自分で書いておいて何ですがw)だって、4年経ったPart19でも、グレアムがリッチーに刺されたとき、ジャックにサーニンやマックスを不安がらせるなと言われても「グレアムに何かあったら弔い合戦だ!」と飛び出していっちゃうんですもんねえ。

アンジーが本当に大人なら自分の感情は抑えて、年下二人への配慮を優先するところでしょうが、アンジーはしない。自分の感情そのままにグレアムを傷つけられた怒りを爆発させる。

Part19は雪山の事件を巡ってすれ違っていく二人の関係が描かれますが、グレアムは養子に行く前から自分たちが放浪生活に戻ることはもう二度と無いのだと自覚しているのとは反対に、アンジーは最後のほうまで何かあったら二人で飛び出せばいいという考えのままでいる。自殺に失敗したグレアムが家に連れ戻されたあと、完全に壊れてしまったかのように見える二人の関係を見るのは辛いですが、個人的にはそれ以上に、アンジーの「どうして信じたりしていたのだろう?あの雪山から逃れた時の様に・・・いつまでも共に生きていられるなどと・・・」というセリフのほうが辛かった。

アンジーのこのセリフによって、「はみだしっ子」という物語は決定的に子供時代との決別へ向かうように思います。

でも、いつまでも変わらぬままでいることの不可能さを自覚していない頃のアンジーの、大人びた、でもどうしようもなく子供のものでもあるグレアムへと向かう想いに、とっくの昔にその不可能性を悟った大人である自分が、「どうしたらアンジーの想いがグレアムに通じるのだろう・・・」とついつい考え、その思いを捨てきれないのも事実なのです・・・

13th hour garden

表のブログ“Nowhere Garden”には載せない記事のために新たに開設した裏のブログです。 サイト名はPhilippa Pearceの“Tom's Midnight garden”にちなんだもの。真夜中の13時に時を打つgrandfather clockからつけました。 表も裏もどちらのサイト名も、存在しない庭という意味では同じになります。

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