The off-crop season #4
グレアムの部屋は静かだった。きっちりと閉められた厚めのカーテンが、外のうるさいほどの月明かりを遮り、優しい闇を作り出している。
掛布に半ば顔を埋めるようにして、グレアムは眠っていた。どうしてもグレアムに言わなくてはならないことがあるような気がして、居ても立ってもいられず、この家に戻ってきてしまったアンジーだったが、よく眠っているらしいグレアムを起こすのは躊躇われた。
明日、グレアムが目覚めてからにしよう。そう思い、諦めて部屋を出ようとしたときだった。
「・・・アンジー?そこにいるの?」
眠っているとばかり思っていたグレアムが突然そう言ったので、アンジーは驚いて振り返った。もっとも、それはまだ半ば夢の中にいるかのようなグレアムの声ではあったのだが。
「悪い・・・起こしちまったか?」
「ああ、やっぱりアンジーだ・・・どうしたの?シドニーのところへ行ったんじゃなかったの?」
グレアムは、やはり完全には目覚めていないようだった。思いがけずそこにアンジーがいるのを見いだして、それが嬉しいといった風な、どこかぼんやりとした、普段よりずっとあどけない口調だった。
時々、グレアムはそんな無邪気さを見せることがある。大方の場合、言動が大人びていて、笑顔を見せるときも静かに微笑んでいるイメージの強いグレアムであったが、何かの拍子にふと見せる笑顔の明るさと邪気の無さに瞠目させられることがあった。マックスより幼い年齢の頃のグレアムは、マックスのようによく笑い、人懐っこいところのある子供だったとエイダから聞いた。そんな幼い頃の自分に、一時的にグレアムは戻ってしまったかのようだった。
「行ったけど、帰ってきた」
「どうして・・・」
グレアムの問いには答えず、アンジーはグレアムの額に手をやった。熱のせいで少し熱いようだった。アンジーの手に触れられて、くすぐったいかのようにグレアムが笑った。
「アンジーの手、冷たい」
「お前の額が熱いんだ。熱があるのか?」
「うん。でも少しだよ。明日の朝には下がっているよ」
アンジーはグレアムの額から手を外した。グレアムの熱の感触が少し手に残っている。アンジーは自分の手を見つめ、それからグレアムを見た。
「あのさあ」
「うん」
言いかけ、アンジーは先を続ける言葉を躊躇った。今、ここまで回復しているグレアムに、あの雪山のことなど思い出させたくない・・・いずれ何らかの形で頭をもたげてくるにせよ、ようやく元の状態に戻ったばかりのグレアムの心に負担を掛けたくなかった。
「・・・シドニーがさ、お前の快気祝いにマッカランの18年ものを買っといてくれたんだ。だけど、何だか、オレ一人で飲んでるのも味気なくってな・・・どうせなら、4人ガン首揃えて飲みてェじゃねえか。そんな訳で、せっかくの酒を断って帰って来ちまったのさ」
「マッカランの18年?それはすごいね。・・・あれ、でもそうすると、アンジーはサーニンとマックスが見つかるまで禁酒するつもりなの?」
「え?いや、べつにそこまでは・・・」
「ああ、でも、禁酒するにはいい機会かもしれないよ。願掛けついでに煙草もやめたら」
「ちょっと待て。なんでそんな展開になるんだ?」
「だって、これがアンジーがお酒と煙草をやめられる最初で最後の機会かもしれないじゃないか」
「冗談いうな。誰がやめるか。酒と煙草のない人生なんざ考えられっか」
「そんなこと言って、あとで後悔しても遅いんだから。アル中と肺癌になって早死にしても知らないよ」
そんな軽口を叩いてグレアムが笑う。他愛もないやりとりに、アンジーは、自分が取り戻したいものを取り戻し、長いこと飢えていた時間を再び手にしている、その確かな感覚を感じていた。真冬に長いこと外にいて、暖かい部屋に入って初めて自分が芯から凍えていたことに気がつくことがあるように。歓喜と安堵感。アンジーが全身で味わっているそれらの思いを、どう言えばグレアムに伝えることができるのだろう。
マックスの殺人、それと、アンジーを失い、サーニンを失ったかもしれないという衝撃が、グレアムに正気と狂気の境界を踏み越えさせたのだろうとシドニーは言った。もし本当にそうならば、何と言ってそのことをグレアムに償えばいいのだろう。
「・・・オレはお前より先には死なないよ」
「アンジー?」
「誰が早死にしてやるかっての。オレは酒も煙草も絶対にやめねェぞ。でもって、絶対お前より長生きしてやる。覚えとけ」
ああ、オレは何言ってんだ。こんなんじゃ、グレアムに伝わる訳ねえぞ。自分で自分に頭を抱える思いのアンジーだったが、グレアムはアンジーの口調に何事かを感じたようだった。ちょっとの間アンジーを見つめるようにして、それから小さく「うん」と頷いた。
「・・・それじゃ、オレもう行くわ。寝てるとこ、邪魔して悪かったな」
「うん、おやすみ。・・・明日から、サーニンたちを探さなくっちゃね」
「・・・すぐに見つかるさ。お前が元に戻ったんだから」
「うん。・・・アンジーもそう信じてくれる?本当に?」
「オレはいつだってお前を信じてるよ。だって、お前はオレたちのキャプテンだろう?」
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