The little birds in the green woods #8 (「はみだしっ子」です)
あのときグレアムの手を取って連れて行かれたローリーの家は、結局マックスも入れた四人で飛び出すことになった。それからもう2年近くが経とうとしている。放浪を始めた最初の頃は、いつも誰か救いの手を差し伸べてくれる大人を探していた。旅の中で誰かに出会うたび期待しては裏切られ、一時うまくいきそうに思えても何かしらある違和感を妥協して受け入れることができず、自分たちのほうから相手を切り捨てて結局どこにも居着くことはなかった。
そうして四人だけで彷徨い続けるうちに自分たちのなかで何かが変化していったのかもしれない。救いの無さに絶望しながらも互いの絆のなかに希望を見出して、よろけながらでも支え合ってやってきたのだ――大人の力に頼らず自分たち四人だけで。そして、アンジーは自分がいつのまにか昔ほど誰か助けてくれる大人を必要と思わなくなったことを自覚するようになっていた。
たぶん、それはグレアムも同じだったに違いない。何よりグレアム自身の変化がそのことを物語っていた。アルバイトを始めたのも、ピアノや読書に以前にも増して真剣に取り組むようになったのも、グレアムがどこかにあった大人への期待を捨て、自分たちの力だけで生きていくことを選ぼうとしているせいではなかっただろうか。
そして、さっきグレアムが言った言葉――
――そうか。お前はそんなことまで考えていたんだな。
同じように放浪生活を送っていても、アンジーには今目の前で起こっていることがすべてで数年先はおろか明日のことさえ大して意識はしていなかった。マックスやサーニンならなおさらだろう。だが、グレアムは他の三人とは全く違う視点から自分たちの生活を眺めていた。何年か先の自分たちの状況を想像することで、現在の生活に将来への何らかの働きかけや布石を持たせようとし、そのための行動を開始しようとしていた。
同じ言葉をグレアム以外の人間が言ったら、たぶん、そんなことは出来る訳がないと馬鹿にして笑っていたことだろう。それがもし自分であってもだ。どこかでグレアムに張り合う気持ちのあった1年前の夏までとは違う。この1年の間にアンジーはグレアムと自分との違いに眼を向けるようになっていた。
それは能力の差などといった問題ではない。向き不向きというのともちょっと違う。それは、何かに対する決心というもっと根源的な部分での差だった。ただの夢想としての決心ではない。することの困難さを正確に測ったうえでなお実現しようとする、実際的な行動を伴った強靱な意志のことだ。
グレアムはやり抜くだろう。子供であることの困難さからも、子供であることの危険からもオレたちを守り切ってみせるだろう。アンジーにとって、それは誇らしさで胸が熱くなるほどの強い確信だった。
それなのに、とアンジーは思った。自分が引っかかっていたものの正体が掴めた気がした。それなのに、どうしようもなくオレは不安なのだ、と。
グレアムの力を信じている。けれど、それは言わば子供であることの限界を超える望みでもあった。そのような望みを持ち、それを実現しようとすることは、グレアム自身に何らかの犠牲を支払わせることになりはしないだろうか。
ふいに寒さを感じてアンジーは身体を震わせた。長い間考えに没頭していたのですっかり身体が冷えていた。サーニンに気を遣いながら再び布団の中に戻る。ベッドに横たわると眼を閉じる前に隣のグレアムにもう一度眼をやった。
たった今アンジーが考えていたことなどまるで知らぬ気に、先ほどと変わらぬ穏やかな寝顔をグレアムは見せていた。内に秘めたものがどうあれ、眠っている間は歳相応にあどけなく、十歳の少年らしかった。
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