思い出になってしまったものは総て哀しいとD・Dは言った
また、えらい長いタイトルになりましたw
本当は最初「二つの子供時代」にしようと考えていたのですが、確認のため「Sons」の最後のほうを見返してたらD・Dのセリフをタイトルにしたくなっちゃいました^^;)
子供を描いた三原先生の作品といえば、「はみだしっ子」と「Sons」が双璧で、どちらも大変好きなマンガなのですが、自分の中でより切実な心情で読んでしまうのは何と言っても「はみだしっ子」のほうです。
因みに「はみだしっ子」では骨の髄まで(笑)グレアムファンな私ですが、「Sons」ではトマスが好き。大人になってからの「ムーン・ライティング」でも豚に変身してるほうのトマスが好きです(笑)
私は「はみだしっ子」も「Sons」も最初に読んだのはほぼ同じ20代の頃で、自分が最初に読んだ年齢で二つの作品の自分にとっての位置が違うという訳ではないので、やはり、それぞれの作品の内容の違いが大きいのだと思います。
テーマ的には「Sons」が「はみだしっ子」で描かれたものを継承しているということになるのでしょうが、「Sons」は最初に大人になってるD・Dとトマスの物語「ムーン・ライティング」から過去へ遡る形で描かれた話であり、物語の最後に大人になったD・Dとトマスが再び登場して終わっている。対するに「はみだしっ子」は、グレアム・アンジー・サーニン・マックスの四人の子供時代を描いた物語であり、Part19では、その子供時代の終わりへの予感が濃厚に漂っていますが、それでもラストの1ページにおいてさえも完全には終わっていない。
子供時代はいつかは終わる。当たり前のことですが、物語として完全に子供時代が終わるためには、「Sons」でD・Dがタイトルのセリフで自分の子供時代を振り返っているように、二度とその時代に戻れなくなった大人の視点が必要なのじゃないかなと思います。
でも、その大人の視点で振り返ることから「はみだしっ子」という物語は辛うじて免れている。もしくは、「Sons」という別の物語を描いて初めてその視点を獲得している。
結果として、「はみだしっ子」という物語では子供時代は完全に終わっていない。もしくは、終わらせることができなかった物語が「はみだしっ子」なのかもしれない。
「はみだしっ子」は大人の視点で振り返ることなしにグレアム・アンジー・サーニン・マックスの喜びや苦悩、子供時代特有の絆が、色つきのままで読み返すことのできる希有な物語です。
三原先生がこれを意図してそうされたのかは永遠に分からないことなのでしょう。けれど、少なくとも私にとっては、それはとても幸運なことのように思えるのです。
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