メリーベルをお空にほうりあげるよ
「ポーの一族」原作の今回の話題はこれ(原作未読の方はご注意)
宝塚版「ポーの一族」は原作の中から主に「ポーの一族」「メリーベルと銀のばら」を舞台化しているのですが、それに伴って原作の様々なセリフ・シーンのカットや細かい改変もありました。記事タイトルのセリフはポーツネル男爵のものですが、これも舞台ではカットされたシーンのセリフの一つ。(因みに舞台では男爵がシーラを老ハンナの館に連れてきたとき、メリーベルは13歳の設定でした。メリーベルが娘役といえど流石にお空にほうりあげるのはムリだったと思われる^^;)
原作の「メリーベルと銀のばら」では、エドガーが11歳、メリーベルが7歳のとき館の人間が全員バンパネラだと知ってエドガーは館から逃げ出します。そのエドガーを男爵がメリーベルを連れて森へ探しにくるのですが、そのとき男爵がメリーベルを高い高いをしながら言ったのが何とも恐ろしくも印象的なこのセリフでした。
男爵に高く抱き上げられて無邪気に笑うメリーベル。一見微笑ましい光景に見えるだけに、明確にエドガーを脅迫している男爵に背筋が凍ります。ここのシーンだけでも20代前半の萩尾先生の表現が如何に研ぎ澄まされていたか分かろうというものですが、実はこのシーンは「メリーベルと銀のばら」(1973年12月)以前に既に一度登場しています。原作を読んでみえる方はお気づきとは思いますが、「ポーの一族」(1972年10月)でセントウィンザー校の校庭でうたた寝をしているエドガーの夢として描かれているのです。つまり100年以上前の記憶をエドガーは夢で見ていた訳なのですが、「ポーの一族」のそのシーンではそれがどんな記憶なのか全く説明もなく、かといって不自然な訳でもなく自然と読む側の心に残る形で描かれています。そして、「メリーベルと銀のばら」まで読み進めていって初めて、あの夢はエドガーのこの記憶を描いたものだったと気付くことになる、その驚き!感動で身が震えるとはこのことでした。
かなり昔に「BSマンガ夜話」という番組があって「ポーの一族」を取り上げた回のときにレギュラー陣の一人岡田斗司夫さんが「ポーの一族」を評して「捨てゴマが一つもなく全てのコマに意味がある」というような趣旨のことを言われてたのですが、その言葉を聞いて真っ先に思い出したのがこの夢のシーンでした。他の方や作品でこのような表現をされている例があるのかどうかあまり知らないし思い浮かばないのですが、これほど鮮やかに表現されている例はあまりないのではないか。
それから、全く違うシーンの話になりますが、「小鳥の巣」の終盤で、遺体が見つかったロビン・カーについてテオが言うセリフで、「でもな、水の流れ逆なんだせ。どうやって50メートルも遡ってきたんだろ」というのがあります。水の流れが逆なのに何故50メートル遡った場所で遺体が発見されたのか。読み手としては当然テオと同じく疑問に思うところなのですが、その理由が説明されることは一切ありません。でも、それなのにというかそれだからというべきか、最初に読んだときから何十年も経ってもふとテオのセリフを思い出して「どうして遺体が川を遡ったんだろう・・・」と考えたりしている。
「ポーの一族」はその作品世界に読者を深く引きずりこむ力がとても強いマンガなのですが、ストーリーやテーマ以上に何気なく描かれているようで隅々まで研ぎ澄まされたそれらのセリフや表現にこそ、その力の秘密があるのではないかという気がします。
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