ダンス教室(はみだしっ子)
―― グレアムも鈍いわね。あんたの苛苛は嫉妬のせいだとわからないなんて!
アンジーは軽く落ち込んでいた。先ほどダナから去り際に言われた一言が堪えていた。彼女の指摘は図星だった。だが、よりによって一番言われたくない相手に見透かされるとは・・・
少し前にリッチー到着の連絡がマックスからあり、グレアムは店のピアノを借りて演奏を披露している最中だった。リッチーを陥れるため、グレアムが立案した計画も最終段階に来ていた。
「アンジー、あ、あれ」
突然、隣の席にいたサーニンがそう言って指さした。アンジーがその方向を見ると、ステージの端にある控え室に繋がる入り口からダナが手招いていた。どうやらアンジーに来いということらしい。
グレアムの計画だと、この後、リッチーを挑発するためにもう一押しするつもりがあるようだった。それに関係することだろうか。
サーニンにすぐ戻るからと言って席を立ち、アンジーはダナのもとへ向かった。
余韻たっぷりにグレアムは最後の音を弾き終えた。軽く息を吐き、ピアノの椅子から立ち上がる。リッチーへの挑発を万全なものにするには、まだ最後の段階が残っているのだ。そして、そのためにはダナの力を借りなくてはならない。
さて、ダナはとグレアムはフロアに眼を転じたが、嫌でも目に付くほど艶やかな彼女の姿はどこにも見当たらなかった。この土壇場でダナに姿を消されては、計画がぶち壊しになる。ここまでリッチーを追い詰めたのにと、グレアムは思いもよらぬ計算違いに焦りを覚えつつどこかに彼女がいないかと再度店内を見回した。
と、そのとき一人の小柄な女性がこちらへ近づいてくるのが眼に入った。
随分と若い――まだ少女なくらいに見える。袖とスカート部分にレースを使った青紫のドレスに包まれた小柄な身体は少年のようにスレンダーで、両サイドを大きめの髪飾りで留めて肩までたらした美しいプラチナブロンドと、きつい緑の瞳が印象的だった。そう、どこかで見たことのあるような・・・
一瞬後、その少女の正体を悟ってグレアムは愕然とした。
「ア・・・」
「その名前で呼ばねェでくれよな。呼ぶなら、この際イブとでも呼んでくれ」
「ど、どうして?」
「知らねェよ。聞くんなら、敵に塩を送る気になったお前の彼女に聞いてくれ」
それはどういう意味かとグレアムが問い返す前に、アンジー――勿論それはドレスを着て母親そっくりの少女の姿になったアンジーなのだが――は、淑女らしくグレアムに向かって手を差し出した。
「ホラ、リッチーがどっかで見てんだろ。さっさと始めようぜ。もっとも、オラぁ、女のステップなんか知らねェからな。しっかりリードしろよ」
あまりの事態に一瞬状況を忘れかけていたグレアムだったが、アンジーの言葉にここまで細心の注意を払って積み上げてきた計画の成否がこれからの数分に掛かっていることを思い出した。相手が、中身がアンジーである少女という事実はこの際棚上げにして、何が何でもこれを成し遂げなくてはならない。
覚悟を決めたグレアムは、差し出された手を取りフロアに滑り出した。女性のステップは知らないと言ったアンジーだったが、グレアムの動きに合わせて踏み出した足取りは危なげなかった。
フロアで踊っていた大人の客たちは、まだ両方共15にもならないだろう少年と少女のカップルに一瞬ざわついた。席で話に夢中になっていた客たちも、何事かとフロアへ視線を集中した。
大人たちの注目の中で、この若すぎるカップルは堂々と踊っていた。少女のほうはダンスにあまり慣れていないようだったが、少年のリードに合わせてステップを踏む様子には年齢に似合わぬ艶やかさと華があった。
要するに、それは、ひどく眼を惹く二人だった。
店の片隅の奥まった席で、ダナはフロアで踊る客たちを眺めつつ一人でグラスを傾けていた。
「あら!ダナじゃない!あんた、なんでこんなとこに引っ込んでいるの?」
丁度その席の横を通りかかった顔見知りの常連客の女がそう声をかけてきた。
「ちょっと訳があるのよ。ところで、さっき前のほうで騒いでいたみたいだけど何かあったの?」
「ああ、小学生くらいの男の子が急にひっくり返ったのよ。なんで、ここにいたのかしらね、あの子」
「タワシ頭の弟くんか・・・」
あの朴訥そうな弟には、兄二人の発展ぶりはどうやら刺激が強すぎたらしい。ダナのつぶやきを聞きとがめた相手は聞いた。
「ダナ?あの子知合いなの?」
「まあね。それで彼の様子はどうなの?」
「すぐ眼を覚ましたんだけど、お酒も飲んでないのに顔を真っ赤にしているし、とりあえずお水飲ませておしぼりで頭を冷やしてやっているわ」
「ありがと。後で様子を見に行くわ」
ダナはフロアで踊るグレアムたちに眼をやりながら言った。女は隣の席に腰掛け、ダナの視線の先を追うと聞いた。
「ね、グレアムの相手の娘、誰だか知ってるの?見かけない顔だけど、随分キレイなコね」
「そうね、思った以上にいいセンいってるわね」
「グレアムも女なんか興味ないって顔してて、結構やるわね。油断してると、誰かにとられちゃうんじゃないの」
「そんなんじゃないわよ」
「あら、そう?あんなに構っているのに」
「構って、ねえ・・・」
確かに我ながらどうかしている。まだ14になるかならないかの子どもが、どうしてこんなに気に掛かるのか。
フロアで踊り続ける二人は、自分たちが周囲の大人たちの視線を掠っていることに少しも気付かずダンスに集中していた。
自分だけじゃない。大人びて小生意気で、それでいてチャーミングでどうしようもなく惹き付けられる。大人たちの心を捉えてこんなにもざわつかせている。
―― つい、余計なお節介をしちゃう訳よねえ
まあ、それも面白いんじゃないのと、ダナは残った水割りを飲み干した。 (了)
0コメント